2018年8月。
ユーラシア大陸を陸路で行くバックパッカーにとって鬼門と言うべき国境が戦後初めて正式に開いた。
東南アジアの最西ミャンマー連邦ザガイン管区タムーと南アジア最東インド マニプール州モレ。
東京日本橋から続くアジアハイウェイ1号線が通るこの国境の先にはインドの辺境地域である北東部7州、通称セブンシスターズがある。
このエリアはインドと言ってもアーリア系ではなく我々日本と同じモンゴロイドの血を引いている少数民族が多く暮らしている。
長らく陸路が解放されていなかった理由としてはインド北東部で活動している反政府ゲリラの影響がある。勿論ミャンマーも近年まで鎖国状態だったので一概に全てインド側ゲリラの影響とも言えないだろうが政治的不安定さがある地域なのだ。
その他の要因としては中国との領有権問題。
地図を見てもらえばわかるがこの地域はインドの飛び地になっていて民族もまるっきり違う。普通に生活していたら「ここインドだったの?」と思ってしまうのも無理はない立地である。
中国側は独自の国境線を主張していて現在進行形でインド政府との睨み合いが続いている軍事的にも重要な土地。そりゃ面倒くさい事が起きない様に一般人をなるだけ入れたくない気持ちもわからないでもない。
そんなセンシティブな状態が長く続いていたのだが最近はパーミットを取得しなければならないのは中国との国境に接している一州のみ。
それまでは他の数州でもパーミットが必要だった事を考えるとずいぶん緩和されたものだ。
ちなみにインド人でもパーミットが必要だったらしく政府の人を近づけたくない感は相当なものだった事が伺える。
では解放されるまでこの国境を越えてインドへ渡った旅人は居ないのかというと実はそんな事はない。
インド側の情勢が落ち着いている時に一時的に解放されたりしていた事もあり運良く良いタイミングで通過出来た人も何人かいるにはいるらしい。有名どころだと当時の猿岩石が通っていた筈だ。
そんな訳でまだまだ未知な部分が残っている辺境地なんだなこれが。
そんなのは当然行くしかないに決まってるので昨年末ミャンマーへ行く前から密かに計画は立てていた。
まさかこんなに早く行く事になるとは思ってなかったけどね。
という事で現在僕は旅の出発点ミャンマーの古都にあたるマンダレーという町に居る。
今旅の全行程はこうだ。
現在地マンダレーからモレ🇲🇲⇆タムー🇮🇳国境を越えインパールへ。そこからインド北東部を通過しダウキ🇮🇳⇆タマビル🇧🇩国境からバングラデシュへ入国。首都ダッカを経由し西へ進みベナポール🇧🇩⇆ペトラポル🇮🇳国境からインドへ再入国。
最終目的地コルカタへ抜ける。
▼詳細な行き方はこちら
先ずはここから夜行バスに乗り翌朝国境を越え、インド北東部マニプール州へ入る。そこから更にバスか車か何かでインパールを目指す。
「インパール 」という地名にピンと来た方もいると思うがこのインパールとはかの有名なインパール作戦の舞台となったあのインパールだ。
連合軍からの補給ルートである援蒋ルートを遮断する為に行われたこの作戦は非常に無謀なものだった。旧日本軍はミャンマーからインドとミャンマーの間に連なる険しいアラカン山脈を突き進みインパールに進軍。激しい戦いを繰り広げるがミャンマーから物資は悪路の為補給が追いつかず加えて雨季へ突入し更に道が悪化、ほとんど無補給状態に陥り沢山の人達がこの地で亡くなっていったのだ。
終戦からもうすぐ75年になろうとしているがこのミャンマーからインパールへ続く道には今でも沢山の日本人の遺骨が眠っている。
国の為に戦って未だに祖国に帰れないでいるなんて悲し過ぎるよな…
このルートを辿るにあたって何処かで線香でも焚いてあげたいと思っている。
そんな訳で東南アジアと南アジアを繋ぐ閉ざされていたルートを踏襲するのと個人的慰霊の意味も込めて平成最後に英霊達が眠るインパールへ俺は行くんや!!(謎のイキリ
無事バスチケも入手。
15:00発 23300チャット
マンダレー空港からタクシーのおっちゃんに連れてこられたバスターミナルは町の南に位置するChan Mya Shwe Pyi Highway Station。
しかしこっちにはタムー行きのバスは無いみたいで町の北側に位置するThiri Mandalar Highway Bus Stationから出ている。
Google Mapにも出ているのでそれを頼りにしていけばすぐに着ける筈。
では。
cheers!