目が醒めるとバスはどこかのターミナルに停車した。
どうやら国境の街ベナポールに着いた様だ。
横からの強烈な朝日を浴びながらバス会社の待合所でしばし待機。全員の準備が出来た頃、今旅最期の国境越えに向かう。
バングラデシュサイドのイミグレーションは途中までスムーズに進んだが後半列が適当でボケっとしているとどんどん割り込まれいつまで経っても通過できない状況になっていた。
人をかき分け出国スタンプを待っていると突然出口で悲鳴が。
どうやら誰かが倒れた様だ。
女性が泣き叫んでいるので只事ではないのはすぐにわかったが人の海で一体何が起きているのかよくわからない。しばらくすると救急隊らしき人が到着したのかすぐに運ばれて行った。大丈夫だったのだろうか…
バングラを出国したら次はインドのイミグレで入国審査。
異常に長い列の最後尾につける。
因みにあの先が先頭ではない。列はあそこから左へ90度折れ更に続いているのだ。
一体いつになったら入国出来るのか…
気が遠くなったが予想外にハイスピードで進み1時間もしないうちに無事インドへ入国。
出口で待機していたコルカタ行きのバスへ乗り込み早速出発する事となった。
道中は隣同士になったマレーシアのビジネスマンと話しながらのゆっくりとしたバス旅。
特に代わり映えのしない真っ直ぐな道を休憩しながらひたすら進む。
因みにインドへ入国してからは電波が復旧したので色々調べていたのだが、国境ペトラポルからコルカタまでは鉄道が通っているらしくそっちを利用した方が早く到着出来たという事が後に判明した。バスは渋滞にハマったり休憩したりでなかなか進まないので鉄道の方が便利かもしれない。
そして問題のサイクロン。
確認するともうすぐインド南部へ上陸し1日以内にコルカタに到達する予報だ。ここまで来てなるべくリスクはおいたくないのでコルカタに到着し次第すぐに鉄道でデリー方面へ抜けてしまおうと色々調べてみたものの既にチケットは完売。
これはコルカタでやり過ごすしかないか…
今後の動きを考えているとふと窓の外の景色が変わったことに気づく。どうやら無事旅の目的地であるコルカタに到着したようだ。
バスを降ろされたのはサダルストリートというコルカタで有名なエリア。
今夜の宿はインド国内に数店舗ある老舗日本人宿サンタナにする事にした。
ここから宿まで少し距離はあるのだが、コルカタの町をみながらゆっくり歩いて向かう事にする。
コルカタは大英帝国時代、イギリス東インド会社の商館が建てられ首都として機能。
当時はカルカッタと呼ばれていた。釣り人なら誰しも馴染みのある名前だろう。
第二次大戦後は長らく共産主義勢力が第一党だった為、今でも街のあちこちでその面影を色濃く見る事が出来る。
特に目につくのがレトロなフォルムがかわいいヒンドゥスタンモーターズのアンバサダー。
ベース車はイギリスのモーリス オックスフォード
後に生産ラインごとインドのヒンドゥスタンモーターズに売却されてからは数年前までインド国内で生産されていた。
なんとも味のある車で僕は好きだがインド国内では植民地時代のシンボル的存在なため若い世代から敬遠されているらしい。
いずれこの車がインドから消える日もくるのだろうか?
途中狭い路地に入ってみたりもした。
そこには人々の生活があり深夜でなければ特別危険は感じなかった。
むしろ人懐っこくて温かい住人達が次々と声をかけて来てくれ、僕のコルカタに対する危険なイメージを一気に払拭していった。
一通り散策すると大通りにでた。
宿はこの大通りに面した古びた建物の上階。
入口を開けると聴き慣れた日本語で「お帰りなさい!」と暖かく迎えてくれるスタッフの方。
一瞬とまどったが、すぐに懐かしい気持ちになった。きっとこれがこの宿の挨拶なのだろう。僕なんかより長旅をしてきた旅人はとても癒されるに違いない。
部屋は8人部屋のドミトリー。
荷物を投げ出し外からきこえてくるクラクションや人々の声に耳を傾けながら今回の旅を振り返りつつ一杯。
この時は僕しか居なかったが夜になるとサイクロンで飛行機が飛ばず日本へ帰れなくなった方達が続々と来宿。一気に賑やかになった。
聞けばほとんどの方達が1人でインドへ来ている方だという。
近くにあの有名なマザーテレサの施設があるらしくボランティアをしにきたという方も沢山いた。
僕も1日くらい行ってみようと思ったが結局酒を飲みつつ自堕落な生活をして日々が過ぎて行ったなぁと今となれば反省している。
そんな各々の旅話を聞きながら飲む酒は格別にうまかった。
未だインドだが既に日本に帰ってきた様に落ち着いたのをおぼえている。
コルカタ初日の夜は楽しく更けていった。
翌日、サイクロンは風速80mを超えたというニュースが入ってきた。
かなりの被害を覚悟したが、南部に上陸し一気に勢力が弱まったお陰でコルカタ付近に到達する頃にはそこまで危険を感じない程度にまで弱まっていた。
特に何事もなくよかったが宿の方が南部の系列店に連絡した所、音信不通だという事で直撃した地域はかなりの被害が出た様子。
嵐が過ぎ去った翌日、無事飛行機も飛び始めサイクロンがきっかけで集まった旅人達はひとりまたひとりと帰国していった。
当の僕はというと日中は市内をふらふらし夜は宿でのんびり酒を飲む生活をしていた。
コルカタの町で特に印象に残ったのはカーリーガートと呼ばれるヒンドゥー教の女神カーリー(迦利)を祀っている寺院。
ここは毎朝山羊をカーリーへの生贄として捧げる儀式が執り行なわれているのだ。
寺院の周りはインド中から集まった信者達が埋め尽くし辺りは線香の匂いが立ち込めている。
奥へと進んでいくと何も聞かずとも一目でこれとわかるような黒い石で作られた部屋がひときわ異彩を放っていた。
部屋の中には天井に向かって2本の柱が突き出たギロチン台が設置してあり、その周りは信者達が備えた花や線香などで埋め尽くされている。
太鼓の音が響き渡りどこからともなく連れてこられた羊達。
自分たちの運命がわかっているのかメェー!メェー!としきりに鳴いている。その鳴き声はまるで人の声の様だった。
そして2本の柱に首が固定され太鼓の音が最高潮に達した時、上半身裸の大男が持っていたナタを一気に振り下ろした。
地面に転がった頭はまだ状況を理解していないのか目をくりくりさせていたがやがて瞳から光が消えた。切り離された胴体は何処かへ走ろうと必死に足をバタつかせている。
辺りは血と線香の匂いが立ち込めその周りを多くの信者たちが囲み祈りを捧げていた。
なんという空間なんだろうか…
神に捧げられた羊達はどこからか現れた子供達の手によってタライに放り込まれ隣にある食肉加工場へと運ばれ、一瞬のうちに普段僕らがスーパーで見るなんの変哲もない肉の塊に切り分けられた。
「いただきます」の意味を再度確認出来たいい日だった。
もしコルカタに行く機会があれば行ってみることをおすすめする。
滞在中、街をあてもなく歩くのも楽しかった。
毎回、路地を見ると入って行きたくなる衝動を抑えられない僕はコルカタでもあちこちの路地へ足を運んだ。そこには人々の暮らしがあり沢山の人達と話す事が出来た。
宿近くの自動車修理工場の職人達
街角の陽気な靴売り
休憩中のリキシャワラー
「チャイ飲んで行きなよ」と声をかけてくれ一杯ご馳走してくれたチャイ屋のオヤジ
子供達も元気で興味津々にこちらに近づいてくる。
これと言って特に観光地はないと言われるコルカタだけど個人的には色々みるモノがあって退屈する事はなかった。
さて。
今回の旅を振り返ると釣りとしては天候不良や政治的理由などにより散々な結果になってしまったが、旅としては戦後正式に開通する事になったミャンマー⇄インド国境を陸路で越え、現代シルクロードと勝手に名付けたアジアハイウェイ1号線(AH1)を踏襲し無事コルカタに到達する事ができた。
更に道中、裏ミッションとしていたとあるエリアに関する情報も入手できたし次回に繋がる良い旅だったと思う。
色々と環境の変化などもあって次の旅はまだ具体的には考えていないのだけど今回情報を手に入れたエリアに行くのか、緩く友達に会いに行く旅にするのか、はたまた陸路で西へ向かう旅の続きをするのか…
何かに縛られず直感的に楽しいと思う方向に舵を切れたらいいと思っている。
またこの旅が楽しく終えられたのも現地で出逢った人達のお陰だと思う。今回はひとりで黙々と進んでいるのとは違う楽しさが沢山あった。
帰国後も色々な面でお世話になったりみんなで食事に行ったり仲良くさせていただいていて本当に感謝しています。
旅のパラメーターを釣りだけにふっていたらきっと出会う事がなかったと思うと旅7割、釣り3割くらいのスタンスでいる事がこういう不確かな旅において色々楽しい場面に巡り合える秘訣なのかもしれないなぁと思う。
Cheers to a friends of journey!Have a good trip!
現代シルクロードの旅 【完】