現代シルクロードの旅#1 〜アジアハイウェイ1号線を行く〜 – Expedition!!←最初から読む
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インパール作戦 戦没者の碑
無事チェックインを済ませた僕はすぐにホテルを出た。
インパールへ寄った目的であるこの地を目指し散って行った先人達に線香をあげに行く為だ。
リキシャを捕まえ此処から30分ほどの郊外にある通称レッドヒルへと向かう。
GoogleMapではJapanese War Memorialと表記があるのでそこを目指して行こう。
料金は700ルピー。
かなりぼったくられているが時間がないのでそのまま乗り込んだ。
しばらく走って気づいたが帰りの料金を交渉するのを忘れた為恐らく2倍取られることになるだろう。油断した。
田園地帯をしばらく走るとそれはあった。
こんな辺境の地で日本語を目にする事になるなんて不思議だ。
この丘がレッドヒルなのだろうか?
その横には立派な慰霊碑が。
周辺にあるロトパチン村の村長がこの地で亡くなった日本人の為に建ててくれたという話をどこかで見た。
70年以上も前に家族を残しこんな遠い所まで同じ日本人が来て命を落として行ったなんてなんと切ない事なんだろう。
何とも言えない感情が込み上げて来くる。
日本から持参した線香を焚き、しばし眼を瞑り両手を合わせた。
言葉は少ししかわからなかったけど慰霊碑を守ってくださっている地元のおじさんが色々話をしてくれた。
帰り際、ノートに名前を記帳して欲しいと言われ記帳した。中には御遺族の方達だろうか?沢山の日本人の名前が記されていた。
「英霊よ この地で安らかにお眠りください」
おじさんに別れを告げ町へ戻る事にした。
混沌のインド
帰りは予想どおりキッチリ2倍の1400ルピーを徴収された。
悔しいが事前交渉をすっかり忘れていた僕の旅人としての未熟さなので大人しく清算する事にする。
じゃあな。おっちゃん。
いい勉強になったよ。
部屋へ戻り洗濯を済ませ晩飯を食いに外へ出る。
少しゆっくりするつもりだったが明日のバスが予想外に早かったので飯屋探しの序でに町を見てまわる事にした。
宿から2km程歩くと賑わっている通りへ出た。飯屋がありそうな方向へ向かっているとなにやら進行方向でモクモクと煙が上がっている。
何だろう?と近づいていくと道に散乱したゴミが燃えていた。
自然についたとは思えないので灰にして水で流しちゃえば綺麗になるじゃんって感じなのだろうか?燃え盛るゴミの脇にはまだ炎が到達していないゴミを漁る牛やカラス。その前を猛スピードで走るバスの窓から屋根によじ登る人達。
町は今まで僕が旅をしてきた中でトップクラスの混沌さを発揮していた。
初めての海外旅でタイへ行った時もなかなかのカルチャーショックだったがインドは桁違いだ。町から発せられるエネルギーが彼方此方で渦巻いている。
ミャンマーからインドに入り人種もガラッと変わった。アジア系の人もそれなりに居るがインパールはインド系の人が多い感じがする。
文化もあまりに違いすぎて正直僕はこの先1人でコルカタまで辿り着けるのかと不安になったが同時に初めて1人旅に出た時の様なワクワクする感情が湧いてきた。
見るもの全てが刺激的で高揚した気分のまま町を歩き続けた。
パッと見た感じ飯屋らしき物は見当たらず数キロ歩いた所にケンタッキーを発見。
昨夜マンダレーから国境へ向かう道中で食べてから18時間ほど経っていたので腹が減ってしょうがない。しかし折角こんな所まで来ているのだから地元の食べ物を食べたい気持ちがあったので一旦通り過ぎ、ほかの飯屋を探したが結局めぼしい店は見当たらず大人しくケンタッキーを食べる事にした。
あとで判明した事だが軒先にパンらしき物を並べている店が数軒あり、僕はてっきりそれだけを売っているのかと思っていたのだけど実は店の奥に調理場があるってパターンだったのではないかと思う。なぜかと言うとこの後の旅路でそのパターンの店に数軒寄ったからだ。実に惜しい事をした。
帰りもまだ燃え続けていたゴミ。
夜中放置していて火事にならないのか心配だ。
ホテルへ帰って明日の支度をする。
部屋は快適だったが1つ難点がありとにかく蚊の数が尋常ではない。日本から持ってきた殺虫剤を撒いても次から次えと現れる。僕のバックパックに至っては中の荷物を整理しようと持ち上げたところ30匹位の蚊が一斉に飛び立った程だ。
一応マラリアのリスクも完全には捨てきれない地域という事なのでなるべく蚊には刺されない様に気を付けてはみたものの、もはや数の暴力なので戦う事は諦め気休めにベッドの周りを殺虫剤でバリア。
日本から持ってきたウイスキーを煽って今日は就寝することにする。