ミャンマーからインドを繋ぐ橋を渡るとすぐにT字路にぶつかる。ちょうどこの看板があるT字を左に行きそれっぽい建物の方へ進むとイミグレーションだ。
途中インド軍の方達がいる厳ついゲートをくぐる事になるが皆非常にフレンドリーなので臆せず進めばすぐに辿り着ける。
インド側のイミグレに来たがやはりまだ早いらしくやってない。リキシャのお兄ちゃんは僕を置いてそそくさと帰ってしまった。
時刻はインド時間に変わっているのでミャンマー時間より1時間遅れの朝6時。
日本とは−3時間半の時差になる。
先程のバス停お兄さんの言う通り9時からだとしたらまだまだ待たされる事になる。こんな事ならタムーでビールでも飲んでれば良かったと思ったが後の祭りだ。
1人いつ始まるかもわからないイミグレに取り残される俺氏。
あまりに暇なので周囲をふらふらしているとジョギング中だったインド軍の方が「お前どこから来たんだ?」と尋ねてきた。僕がJAPANと答えると日本語で「ありがとう」と言ってくれた。
ついでにイミグレのオープン時間を聞くと7時半からだと言う。
今が6時半なのであと1時間程だ。バス停のお兄さんはミャンマー時間で教えてくれたのかな?
とにかく待つ事にする。
因みにイミグレの建物沿いを時計回りに回るとトイレとシャワーがあるので使いたい方は使って良いっぽい。僕が入った時は先行者の形跡がしっかりと残されていた。ちゃんと流せよw
7時半になると職員が現れイミグレがオープン。インド側に行く人は僕を含めて7人ほど。
特に問題なくスムーズに入国スタンプが押された。
入国審査を済ませたら来た道を戻り橋のT字路をミャンマー側から見て右方向に進む。
少し離れたモレの中心地を目指して歩いていると右手側にトラックが沢山集まっているPAらしき所があった。
商店があったので近くに居た人に「ビールあるか?」とダメ元で聞いたら「ある」と言うではないか!話では一応此処はまだミャンマーらしい。
さっき国境を越えた筈だが実際の国境線は曖昧な様だ。
この先のマニプール州とナガランド州は禁酒州らしいので急足を止めてビールを満喫した。
もっとも禁止されていると言うことは裏をいえば何処かでコッソリ売っている人間が居るはずなのでその気になれば入手する事は可能だろうが最近インドで密造酒による集団死亡事件がちょくちょく起きている様なのであまりに安過ぎる物、封が開いている物には注意した方が良いだろう。
ビールを飲み干したら少し先に見えているゲートへと向かう。
此処でパスポートチェックが入り晴れてインドへ入国した事になる。
近くに居たリキシャを捕まえて両替所に連れて行ってもらいミャンマー チャットをインドルピーに両替した。レートは正規のものより良かった。
両替を済ませたらインパールへ行く車を探しに中心地へ。
到着するとバックパックを背負った僕を見るなりすぐに数人が声を掛けてきたのでインパールへ行きたい事を伝え「こっちだ!」という男にそのまま付いていった。
案内された先にはマルチスズキのオムニ(800ccのインド版エブリイ)が停まっている。
中には既にインド人女性2名が居た。
後3人待って6人揃ったら出発するという事らしい。
しかし車に乗り込んだものの一向に人が集まる気配がない。車内はうだる様な暑さで女性達も苛立ち始めもう出発しろとブチ切れている。
しかしそこは稼ぎの問題があるのでドライバーも譲らない。
ニコニコしながら女性達のご機嫌を取りつつ無事3人を集め出発することが出来た。
このドライバー、名前をナナオという。
まさかこんな辺境の地でインド版ナナオと遭遇するとは思ってもみなかった。ナナオポーズを教えてやろうと思ったが何が悲しくて男のケツが見たいのかと一瞬で我に帰ったので自重。
バンは山道をぐんぐん進む。
あっという間にかなりの標高まで上がってきた。一気に駆け上がってきたせいか気圧で耳がおかしくなっている。
遅い車を抜かす時は先が見えないのでクラクションを鳴らしまくって対向車に知らせるのだがナナオのマシンに搭載されたクラクションは蚊の鳴くような音しか出なくてかなり心配だ。
「ピ…ピピ…ピ…ピー…」
道中数回にわたり軍の検問がありパスポートチェックが入るが日本人だと言うと皆ニッコリしてくれ「Welcome to India!」と言ってくれた。今の所想像していたインドより遥かにいい所だ。
インパールまで後72km。
ボケっと空を眺めていたら75年前この道を進みインパールへ向かった日本兵達は一体どんな気持ちだったのだろう…とふと思った。
僕にはわからない。わからないけど抜けるような青空を見上げて居たらこみ上げてくるものがあった。未だこの道に眠っている人もいるかも知れないと思うと言葉に詰まる。
なんとしても僕がインパールへ行き線香をあげなければ!そんな大袈裟な使命感が沸々と湧いてきたのである。
そんなよくわからない使命感に燃えていた所この旅2回目の嘔吐者が出た。
後から乗り込んできた家族連れの娘さんだ。非常に苦しそうだが隣に座っているお母さんはぐーぐーと爆睡している。
途中寝ていたらドン!という衝撃で目が覚めた。どうやら対向車が僕らの車の側面へ当たった様だ。特に問題はなさそうなのでまた寝る事にする。
2時間半程走ると突然広大な盆地へ出た。
おそらくここはインパール盆地だろう。見渡す限り田んぼが広がりその奥には連なる山々が見える。
ここからはほぼ一直線の道を走り午後2時ごろインパールへ到着した。
まずはインド人の女性2名を降ろし続いて僕が乗る明日のバスチケットを手配する為、チケット売り場へ向かう。
明日はここからメガラヤ州の州都シロンへと向かうのだが距離が距離だけに明日夜出発の夜行バスだろうと思っていた。なので明日日中はインパールの郊外へ釣り場でも探しに行くつもりでいたが聞けば明日午前10:30のバスしかないと言う。
先程到着して明日午前出発とは些か忙しないがこの先時間の余裕が出来るとこっちとしては好都合なのでその便で手配した。
到着は夜中とかになるのかな?
所用時間を尋ねるとインパール発 午前10:30、シロン着 翌日午前7:00だそうだ。
一瞬耳を疑ったがトータル20時間半のバス旅になるらしい。
料金は900ルピー。
その後僕のホテル探しが始まったが安いホテル数件で何故か断られた。外国人お断りとかなのだろうか?よくわからない。
あまりホテル探しが長引いても付き合わせている同乗者家族に悪い気がしたので次の空いているホテルに決める事にした。
ナナオよ…
絶対ヤバイだろここは。
インパールホテルだぞ。
東京で言ったらHOTEL TOKYOみたいなモノだろう。グレードアップし過ぎだと思う。
「えー…と。1番安い部屋は幾らですか?」
「3000ルピーです。」
我々「………。」
600ルピー以下の宿を想定していた我々に突如として5倍の提示。
ナナオも気を遣って違う所にしようと言ってくれているがまた探すのも時間が掛かるので大人しく此処に泊まる事にした。
実際そこまでヤバイ金額ではないが旅をする上で泊まる場所と言うのは食費と同じく積み重なると費用が嵩みやすい部分なので普段は自分が許せる範囲内で安い場所に泊まる事にしている。
ま。今回は一日だけだし洗濯やらなんやらしたいし。何より2日間かけて移動してきてまた明日から20時間の移動なので今日くらいはいいトコ泊まってもバチは当たるまいよ。
ナナオ!サンキュー!!
道中色々世話してくれてとても良い奴だった。もしまた来る事があったらまた彼に頼もうと思う。
チェックインを済ませると僕のバックパックはホテルマンに持っていかれた。まさかコレはチップの習慣があるのではなかろうか。今、僕の手持ちは大きなお金しかないのだ。まずい。
とりあえず部屋へついてもホテルマンと目を合わせないようにしていたが案の定退室するまでワンクッションあったのでやはりチップの文化があるのだろう。悪い事をした。
後で崩してくるから勘弁してくれ。
ある程度荷物を整理してインパールへ寄った目的でもある慰霊碑に向かう。
夕方には管理人が居なくなるという話を聞いているので急ぐ事にしよう。