ミャンマー開拓旅#1 タイ編〜旅の起点〜 – Expedition!!←最初から読む
ミャンマー開拓旅#6 〜アジア最後のフロンティア〜 – Expedition!!←前回のお話し
朝シャワーを浴びていると部屋をノックする音が聞こえた。
加藤さんだ。
遥々バガンより夜行バスを2夜乗り継いでなんのアテも情報もないこの地へわざわざ来てくれるなんて嬉しいしとても心強い。この一年間、一人で旅する事が多かった自分にとって誰かと旅をするのは久しぶりだ。
早速部屋をツインに移してもらいこれからの予定を話し合う。
話し合いの結果、選択肢は3つに絞られた。
- 僕が国境から乗ってきた車のドライバーであるニニを雇い再びあの川へ戻る。
- 加藤さんが乗った夜行バスで知り合った人の友人でダウェイに詳しい人が居るらしくその人を紹介してもらう。
- 適当に街中に出て車を出してくれる人間を探す。
色々と相談しつつ一応ニニへコンタクトを取ってみたが既にティーキーへ向かっているのか電波がない。
とりあえず加藤さんの線で行く事になり昼にホテルに来てくれると言うので一度会って話そうという事になった。
昼まではまだまだ時間があるので朝飯を食いに町へ出た。とりあえず乾杯。
ミャンマー風 餡かけ麺で腹拵え。
街をふらふら。
近くに大きなマーケットがあり朝から賑わっている。
顔に白く塗られているのはミャンマー伝統の化粧品 タナカ。保湿効果や日焼け止め効果がある様だ。
ミャンマーらしいパゴダ。
ここは一応寺院なのかな?
一通り市内を散歩して宿へ戻る。
約束していたお昼になるとこの街に詳しいという男が現れた。名前はサム。
サムは観光ガイドをしているらしいが釣りは専門外なので全く分からないそう。夕方までに色々と調べて連絡をくれる事になったので再び時間潰し。
加藤さんが北部で買ってきた巻きタバコ。
僕は何年も前に煙草はやめてしまったのだけどいい魚釣った後の一服が最高に好きだった。
ビールを飲みながらお互いここまでの旅の話をして盛り上がった。
加藤さん曰くバスで乗り合わせた人に「海じゃなくて山に釣りに行きたい」と言ったら「そんな奴は今まで聞いたことない笑」と言われたらしく淡水域はほぼ手付かずな事が伺えた。
僕達の目的はミャンマーの山奥へブルーマシールを探しに行く事。タイのミャンマー国境近くには生息しているのだから多分ミャンマー側にも居る筈だよね。
後は何か面白い魚が釣れたら良いなと言った感じだ。
夕方になるとサムから連絡が入りロビーで状況を聞く。事前に釣りたい魚リストをサムに渡しておいたら地元の大学まで聞きに行ってくれたらしく3つの川が候補に上がった。共にブルーマシールとカスープが棲息しているようだ。
当初僕が行こうとしていたエリアを聞いてみると何やら小難しい話をし出すサム。僕は英語が堪能な人間ではないので何を言っているのかイマイチわからない。
何やらやたらとマインとか言ってるけどI my me mine のマイン?とか思っていたらland mine
地雷だ。
サム曰くそのエリアは少数民族の統治しているエリアで周辺は地雷原に囲まれていて非常に危険。加えて奥地にはマレー熊とブラックパンサーが棲息している。行くなら自己責任で行ってくれ。私は関知しない。だそうだ。
危険過ぎる。
仮に少数民族と交渉出来たとしても地雷のリスクが常について回る事になる。もはや釣りどころではない。
想定外の事態にとりあえず明日はサムが提案してくれた3つのエリアの内の一つを調査する事にし解散した。
その後独自に情報収集すると知られざるミャンマーの現状が明らかになった。
ミャンマーは1948年のイギリスからの独立後、ビルマ連邦政府とそこから独立を求める少数民族との間で内戦が勃発。以降60年以上戦ってきた歴史がある。
何故60年もの長きに渡り内戦が長引いたのかは少数民族が険しい山岳戦に長けていたため連邦政府はなかなか制圧する事が出来なかった事が背景にあるとされる。
ミャンマー国内で最大規模を誇る反政府武装組織 カレン民族同盟(通称KNU)この組織と連邦政府は度々軍事衝突を起こしその過程でKNUの軍事部門として作られたのがカレン民族解放軍(通称KNLA)
この両者の内戦によりミャンマー国内には未だに沢山の地雷が残されている。一説によればその汚染状況はカンボジアに匹敵する可能性もあり、隠れた世界最悪の地雷汚染国という話もある。
2012年に停戦協定が結ばれた事により現在は割と平和な感じになっているが互いに地雷を仕掛ける時は相手にバレないように埋めた場所は記録しない為、付近で生活している人達も何処に地雷が埋まっているかわからない状況だと言う。本当に恐ろしい事だ。
カンボジアと違い起伏の激しい地形をしたミャンマーでは地雷除去車両などが使えない場所もある為、完全除去するには途方もない労力がかかるのではないかと個人的に思う。
ニュースでは中東などの戦争が大々的に取り上げられるが日本からもそう遠くないアジアの地でこれ程の戦争が起きていたとは知らなかった。
この戦いは【忘れられた紛争】そう呼ばれているらしい。
連邦政府と少数民族、どちらが正義なのかと言う議論については勿論見る角度によっていくらでも変わる事なので敢えてここで言及はしないが人権弾圧、民族浄化など許されるべき行為ではないだろう。改めて戦争とは非常に恐ろしいものだと調べていて思った。
当時のミャンマー事情がわかる映画として《ランボー/最後の戦場》と言う映画がある。
もちろんフィクションなので現実の内容が全て当てはまる訳ではないのだが同じ様な事が実際に起きていたと思うと平和慣れした我々にはかなりショッキングだと思う。興味がある方は見てみる事をお勧めする。
ここへ来て色々な情報が入ってきて多少困惑したが現状に鑑みる限り情報不足で動き回るのは命取りになり兼ねないので今回は危険地域以外に可能性を追う事にする。
因みに誤解がない様ここへ記しておくが少数民族の方達も僕が見た感じ特別変わった人達ではなく至って普通に話が出来る常識人だと思う。勿論良い人も居れば悪い人も居るだろうし停戦したとは言えセンシティブなエリアなのでもしこの地域を通る方が居たら勝手な行動は控えた方が良いと思う。地雷的にも。
大まかな現状を把握した所で明日の準備をし晩飯を食べに部屋を出た。
廊下を歩いていると今朝までと違いホテル内が混雑している事に気付いた。年末なので休みに入った人達が続々と到着しているのだろう。
一応明日からの宿泊予約を取る為にカウンターに空きを尋ねると既に年始まで一杯との回答が返ってきた。
仕方ないので飯行く前に明日からのホテル探しをする事になったがコレが非常に難航した。ただでさえ安いホテルが少ない上に年末年始と重なって行く先々で満室だと断られた。
手当たり次第に飛び込んでいた中に600円の宿もあったが薄暗い中央通路の両脇に番号が振られた小部屋があり中はシングルベッドが一台にその横30センチ程が通路になっている1.5畳程の刑務所みたいな場所だった。今まで見た中でワーストワンの宿だ。
流石に今の快適なホテル泊まった後のコレはあんまりだと思う。落差が激し過ぎて悲しくなりそうだ。
万策尽きた僕達は最後の望みを掛けてサムへ連絡。
すると知っているホテルに連絡してくれ部屋を取ってくれた。どうやら教え子が勤めているらしくわざわざ部屋を空けてくれた様だ。
なにはともあれこれで明日から刑務所暮らしをしなくて済んだ。ありがとうサム。
暗くなってから何慌ててんだ俺たちはw
昼間から酒飲んで「暇だな!」とか言ってた自分達のアホさ加減が笑えた。
バタバタ動き回って一気にどっと疲れた。
明日に備えて早く寝る事にする。